以前山手の坂道を書いたけど画像が消えたのでリメークしました
横浜山手地区は開港後の外国人居留地だったところで今もその名残りを色濃く残している
そこは海抜10~50mの丘陵の上だが海から見ると切り立った崖の上にあるため
居留地の外国人は「THE BLUFF」と呼び、その名称は今も使われている
まちは「港の見える丘公園」を頂点とした左右へ傘のような形になっておりそこは
山手地区と呼ばれていて
その真ん中を魚の骨の様に左右に伸びる尾根道がありそこへ向かって登る坂道がつながっている
この構造は明治初期につくられた
地図の黒いラインが尾根道で赤いラインが尾根につながる坂道
なるほど丘公園から海を眺めるとそこは今でも断崖になっており
開港当時、海からは切り立った丘に見えただろう
地図を眺めていて気が付いた
右側尾根の海側は崖なのでそちら側から登る道はなく最端のワシン坂と
内側から登る聖坂くらいしかない
そして左側尾根は元町・中華街側からは名の付いた坂は何本もあるのに内側からはほとんどない
これは生活圏と地形が原因なのではないだろうか
つまり生活と密着していた側は人の行き来も多く坂に名前がついた
一方名の付いた坂のないところは利用度が少なかったり崖で道が造れなかった
とこれは自分の勝手な解釈で根拠は全くありません
では坂道の紹介をば
トップはやはりここでしょう
港の見える丘公園へ(尾根道が左右に分かれる要の場所)つづく坂
カーブしたあと最後にガツンと登る
「谷戸坂」
そのまま右尾根を直進すれば最端の登り口
「ワシン坂」
この坂は濱ポタで必ず登るが最後にガツンとあるので
どのくらい踏めるかがその日の調子のバロメーターになる
ちなみにこんくらいの斜度
そして内側から右尾根へつづく唯一名の付いた坂
はいグレーチングがついてるのでそれなりにキツイです
「聖坂」
こんどは左側尾根(山手本通り)に続く坂
元町ウチキパン前から外人墓地の東側を気象台へのぼる
坂といってもステップ幅の広い階段
あ、階段はカーブした先から
「見尻坂」
尾根内側(南)からつながる数少ない坂
外人墓地入口前へつながる
「陣屋坂」
外人墓地の西側から元町プールへつながる階段
「貝殻坂」
エリスマン邸横から元町プールへつながる階段
「額坂」
内側(南)からもうひとつの坂
北方小学校~ベーリックホール前へ
「南坂」
元町から登る「代官坂」
坂のふもとに横浜村の名主が住んでいたので代官屋坂と呼ばれるようになったそうだ
元町から登る山手最強の坂
山手から海へ人々が汐汲に通った道
「汐汲坂」
直登なので斜度はこう
石川町からフェリス中高へ向かう階段
「フェリス坂(西野坂)」
石川町からイタリア公園につながる
「大丸谷坂」
大丸谷坂の途中左から山手本通りへ
「さくら坂」
石川町から山手本通りへ向かう
「地蔵坂」地蔵坂の由来は途中にお地蔵様があったからなんだけど関東大震災で壊れたので今はふもとの亀の橋袂に再建されている
地蔵坂の途中左へイタリア山庭園に向かう階段
「小坂」
地蔵坂から右へ共立学園東側へ続く階段ここの女子中高生が通うので
「乙女坂」
あの方もここを通ったのだろうか
牛島坂のふもとを左へ共立学園西側につづく
名前のわりにキツイ
「牛坂」
牛島坂の途中左側から打越橋の袂までつづく階段
「猿坂」
山手地区の西側はここで終了するが尾根道はこの先も続いている
次回は「その先の尾根の坂道」