枕ホンダが不甲斐ないので過去の栄光に浸ってみた
1966年からエンジン規格が1.5Lから3Lに変わったが
HONDAはシーズン終盤でやっと新車RA273を投入、デビュー戦イタリアGPで4位入賞
1967年はフェラーリでチャンピオンになったジョンサーティースを獲得したが
RA273のV12エンジンは強力だったが自作のシャーシが重すぎ
他チームの馬力は小さいが軽量マシーンに対抗できなかった
4輪車を作った事がないホンダ、いきなりのF1挑戦だったから全て試行錯誤
これも本多宗一郎の「やってみないで何がわかる」精神
しかし勝つために現場の中村良夫監督はシャーシを急遽ローラに製作を依頼
シーズン途中ながらローラはインディ用のマシンをベースになんと6週間で新車を作り上げ
デビュー戦となったイタリアGPで劇的な優勝をした
だが独自技術にこだわる本田宗一郎と勝利にこだわる中村良夫の確執は増えていった
中村良夫は監督を辞めたあと日本には帰らず
帰ったのは本田宗一郎が社長を退いてから
HONDA RA300
通称「ホンドーラ」
カーナンバー14って今のアロンソと一緒、偶然?
むき出しのエンジン、これぞ1960年代のF1