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2013年 11月 12日

旧鎌倉街道をたどる 上ノ道編 4


                    
                       多摩センター~所沢 約23km


             小野路を越えた旧街道は笛吹峠と貝取の山の間を乞田にむかう
                 その両尾根には鎌倉古道と鎌倉裏街道が走っていた

                  笛吹峠は鎌倉幕府が滅びたあと南北朝対立を制し
              室町幕府を開いた北朝派の足利尊氏を倒すべく南朝派だった
            新田義貞の子、義興・義宗兄弟が鎌倉を攻めるのに通った鎌倉裏街道

                         伝説によると。。。。

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敗軍の南朝派にとってこの行軍は速攻が必要なため昼夜にわたる過酷なもので
多摩の尾根道に入った軍勢は疲労感からただ静かに歩をすすめるだけだった

夜空をみあげると。。。
行く手の小野路の山並みの上には大きな月が

その時馬上の義宗が笛を取り出し静かに吹いた
その音は歩く兵士たちの疲れ切った心と体を癒したそうだ

それを聞いた里人がその話しを寺に伝えそれ以来この峠を誰ともなく「笛吹峠」と呼んだ


                 笛吹峠を越えた鎌倉裏街道は愛宕の切通しを抜けた

                              愛宕切通し
            


                    振り返ると右に笛吹峠、左に貝取の山が見える
         しかし今山に見えるのは公園として残された緑で奥は団地となっており街道跡は無い

                     真下にみえる道路は笛吹峠を越えた裏街道

     
 

                     乞田を通った旧道は多摩川へ向かう                    
            しかし多摩川を見てここをどうやって渡ったのだろうかとふと疑問がわいた

     


              少なくとも鎌倉時代は防衛のために橋は架けてなかっただろう

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だって鎌倉までの間に敵を防ぐ大きな川がないので
鎌倉幕府にとってこの大河は北方防衛の最前線

対岸には武蔵国の国府がある(現大国魂神社)

なのでここを突破できれば鎌倉幕府を落すのも不可能ではないと考えられていた

そして幕府軍と新田軍の「関戸・分倍河原の合戦」という激戦が行われた

初戦で敗れた新田軍は幕府軍が祝盃で浮かれ油断していた隙をついて破り
その後どんどん勢力を拡大して鎌倉へ攻め上った


そんな関戸附近だが普段は渡し舟があったのか徒歩で渡ったのか
今とは川筋も水量も違うだろう

いろいろ調べてみたがそのあたりを書いている文献は見当たらない



もう一つこの場所は鎌街と官道が交差しており渡川したあと
それぞれ別ルートに繋がったりもしているのでちょっとややこしい



                      多摩川を渡るとここからは武蔵野台地

     振り返れば「多摩の横山」「眉引き山」と呼ばれた優美な山々の多摩丘陵が立ちはだかっている

                       やはりここは防衛の最前線だった

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武蔵国は今の東京・埼玉・神奈川東部にわたる大きな国だった
政治の中心である武蔵国府は現在の大国魂神社の位置にあり
横には国衙(こくが)跡が残っている
今で言うと都庁みたいなものかな



国衙(こくが)跡



旧官道と旧鎌倉街道は府中刑務所を過ぎたあたりで合流し九道の辻(八坂)へ向かう

国分尼寺のある黒鐘公園そばに古道跡が残っており
この日は旧鎌を歩くツアーだろうか大勢の人といろんな場所ですれ違った



                        多摩センター~八坂 約16km



                 



        八坂は昔「九道の辻」と呼ばれ鎌倉街道を始め文字通り九本の道が交差していた

      江戸道、引股道、宮寺道、秩父道、御窪道、清戸道、奥州街道、大山街道、鎌倉街道

         今は減って7差路になっているが左斜め上で交差してるのを含めると8差路

                            なので「八坂」?



                      半分しか写ってないがそれでも5本ある

     


                  新田義貞はここで鎌倉への道を見失ったらしいが

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おそらく当時は草原の中だったのでどっちがどっちやら判らなくなったのでは
なので目印にサクラの木を植えたが何代かにわたり大正まであったそうだ

今は野火止用水の脇にけやきの木がある




八坂からは府中街道を北上する道と北西にむかう八国山経由の道
(Googleの航空写真で左斜め上で交差してる道)
と2つに別れるが所沢の手前で合流する

どっちへ行くの?むろん八国山経由でしょう


東村山に入りあちこち探索してみる

ここは八国山に向かう古道ではなく府中街道から所沢へ向かう古道
「旧鎌をたどる」シリーズはこんな格好で廻ってます

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都内にある唯一の国宝

正福寺の「千体地蔵堂」

円覚寺の舎利殿にそっくり

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八国山の麓には「となりのトトロ」に出た「七国山病院」のモデルと言われている「東京白十字病院」がある

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ここでまた2つに道は別れる

一つは病院の東の山すそを抜け八坂で分岐した府中街道へ先に合流する(Bルート)
もう一方は病院の西を抜け(Aルート)所沢で先に合流した道に合流し一本となる
八坂で別れ府中街道をきた道はCルート




八国山には新田義貞が陣を置き白旗を立てたといわれる将軍塚がある
白旗は降参ではなく源氏の白、義貞は上野源氏の嫡流
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「小手指」で迎撃にきた幕府軍を破った新田軍はここ「久米川」でも幕府軍を破り
さらに幕府最大の防衛線だった「分倍河原」を撃破した

そして小野路を越えた新田軍は勢力を拡大しつつ相模国を一気に縦断し
鎌倉の喉元「洲崎」で激戦を行い各切通しへ迫った

上野新田荘から普通に歩いても4~5日はかかる約180kmを
戦を繰り返しながら進軍し、挙兵からわずか14日で鎌倉を落した

なんという速さだろう




八国山から見えた八国とは

駿河・甲斐・伊豆・相模・常陸・上野・下野・信濃

でもいまは木々が生い茂り周囲は見晴らせない


所沢で一本となった街道は狭山、日高、嵐山、寄居から高崎へ向かう



                         八坂~所沢 Aルート 6.3km



                 




                             編集後記


                               


          所沢まで4回に別けてたどりましたがここで上ノ道編は一旦終了いたします。

               と言うのはこれから先遠くなるので輪行に時間がかかり
                       実走時間が短くなってしまうのと

           病気治療も終盤にさしかかりましたのでそちらに専念しようと思います。


                               


                       そしてこまで走って思ったのは

       街はニュータウン、団地の開発そして道路の拡充により人々の暮らしは良くなっているが
        その反面山林に古くからあった道や遺跡が失われてもいった(ゴルフ場も原因の一つ)

                     

                  新しく生まれるものがあれば無くなるものもある

               これは世代交代で、ある程度しかたのないことかもしれない
          しかし高度経済成長が終った今、その当時の開発計画を根拠にしたものは
                    今現在、本当に必要なんだろうか。。。

         行政で指定されたものは保護されるがそうではない遺跡(古道も含みます)
            全国に沢山ある貴重な遺跡は後世に残し伝えなければいけない

                 それはいま生きてる我われの役目ではないだろうか


                      失われたものは元にはもどらない


                          てなことでした



                               

                     この先を再開できるか判りませんが

                  所沢~高崎まではルートラボを作りましたので
                  走ってみようかなと思うかたは参考にしてください

                 ただし、旧道があった場所で現在道がない部分に
                     ルートを引きましたのでご注意ください

                          所沢~高崎 約81km 


                     




            いままで長々とお読みいただきありがとうございました m(__)m


        残る中ノ道、下ノ道は全線レポはやめて地元を中心にまとめようと思います


                                

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by yamamichishake | 2013-11-12 11:17 | 自転車 | Comments(0)


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