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2010年 02月 07日

一里塚

  一里塚は平安末期から始まり江戸幕府が五街道の整備をした際、駕籠代などの駄賃銭をきちんとするため
            江戸日本橋までの里程が明確に判るように一里ごと(4km弱)に街道の両脇に
              五間(約9m)四方に土を高く盛った塚を造りその上に榎や松を植えた

              それは同時に旅人にとっても旅の進み具合がわかり、植えられた木は
         夏は木陰となり、冬は風除けにもなったため格好の休憩場所になり付近には茶店ができた

         正直、一里塚とは「京まで〇里」とか「江戸まで〇里」という道標がある場所だと思っていが
       恥かしながら塚(Mound)というのは周囲よりこんもりと丸く盛り上がった場所をさすのだと知った


             明治に入り様々な理由で無くなってしまったので、多くはここがその跡ですよ
                という案内板で想像するしかないが、今も残っている場所がある

                       神奈川県内の東海道に残っているのは
                 川崎の市場、戸塚の品濃、茅ヶ崎、の3箇所 (箱根畠宿は再建)
               


  
                             【市場一里塚】

          川崎宿を出て八丁畷(はっちょうなわて)を過ぎ、鶴見川の手前、旧市場村にある

                  日本橋から5番目の一里塚、日本橋から20km弱
 
                 東側の一里塚で小さな祠がたっているが西側の塚は無い
                しかし塚といっても1mくらいの高さしかなく周囲も小さいので
                  もともとあった大きさから削られてしまったのだろうか

          次に出る品濃一里塚に比べるとかなり小さいが京浜地区に唯一現存する塚として
                 平成元年(1989年)に横浜市地域文化財に登録された

                   


                             【品濃一里塚】

          保土ヶ谷宿と戸塚宿の間にあり、境木地蔵から南、品濃坂へ向かう途中にある

                   日本橋から9番目の一里塚、日本橋から35km強

          こうやって両側ともほぼ当時の形で残っているのは神奈川県下ではここだけで
                       昭和41年に県の史跡に指定された

                    両方とも一里塚公園として整備されているけれど
                    東の方が下部を石垣で覆い保存状態は良いが
                西はそのままなのでかえって当時の状態に近いのかもしれない

               
                     東側                   西側



                             【茅ヶ崎一里塚】

                藤沢宿と平塚宿の間、日本橋から14番目なので約55km
                  JR茅ヶ崎駅から国道1号線を右へ行くとすぐにある

        南側だけしか残っていないがこんもりとした塚は松並木とともに当時の街道を想像させる

                   

 


by yamamichishake | 2010-02-07 16:13 | 自転車 | Comments(0)


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