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2010年 02月 12日

大磯宿

                     花水川を渡り化粧坂から旧東海道に入る

              広重の浮世絵は宿場入り口の垣があるので江戸方見附のあたりだろうか
                 この場所は残念ながら海は見えないが松並木が今も残っている

    

                  大磯には曽我兄弟と虎御前の伝説があちこちに残されている

                     所領争いで工藤祐経は叔父の伊東祐親を恨んでいた
                    祐経は部下に叔父の暗殺を命じたが部下の放った矢は
                       祐親の息子、河津祐泰に当たり祐泰は死ぬ

                       祐泰の遺児曽我十郎・五郎兄弟は成長の後
                    源頼朝の巻狩りに随参していた工藤祐経を仇討ちにした
                  兄十郎はその場で討たれ、弟五郎は捕らえられたのち処刑された

                   この物語は江戸時代になって浄瑠璃・歌舞伎・浮世絵になり
                     忠臣蔵にならぶ三大仇討ちとして民衆の人気を得た



  化粧坂(けわいざか)はこの辺りに住んでいた十郎の恋人

  虎御前が朝な夕なに井戸水を汲んで化粧をしたので

  名が付いたといわれている

  井戸は枯れているが、街道の両脇に並ぶ住宅街が

  宿場の雰囲気をかもし出しており

  いまもみんなが使っている感じがする 









  延台寺には虎御石がまつられている
  この石は子宝に恵まれなかった親が虎池弁財天に
  願をかけたところ授かったので生まれた娘を虎(虎御前)と名づけた

  そのとき枕元にあった小石を大切におまもりしていた
  虎の成長とともにその石は大きくなり
  虎も舞の名手としてやがて曽我十郎の恋人となった

  十郎が虎御前の家で敵方の刺客に襲われたとき
  この石のおかげで命が助かったので身代わり石とも呼ばれている

  虎御前は庵をむすびこの寺で兄弟の菩提をとむらった

  虎御石は1mほどの大きさでお堂のなかで
  赤い錦に包まれいた






                     大磯は別荘地としてして発展しおおくの著名人がいた
                     島崎藤村も昭和18年に亡くなるまで晩年をすごし
          
                     こじんまりした民家で庭に面した書斎の落ち着きは
                   夫人も藤村が最も気に入っていた場所だろうと述懐している

                      

                            大磯中手前が上方見附
                            宿場の長さは約2km
                             となりは小田原宿






by yamamichishake | 2010-02-12 16:17 | 自転車 | Comments(0)


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