人気ブログランキング |

<   2010年 01月 ( 30 )   > この月の画像一覧


2010年 01月 30日

頼朝ライン

登りきっつ!


by yamamichishake | 2010-01-30 17:56 | 自転車 | Comments(0)
2010年 01月 29日

真鶴

なんと雨ふってる


by yamamichishake | 2010-01-29 17:55 | 自転車 | Comments(0)
2010年 01月 28日

熱海



 明日から熱海、2泊3日

 今月はこれでお泊り2回目
 かなりハイペースだな

 今年はROADで長距離を走る予定をしており
 自宅から熱海までは80kmくらいなので
 久し振りに走るには丁度手ごろな距離

 え、なんで輪行の用意してるのかって?

 いま旧東海道宿場巡りをしてて
 を撮りながらあちこち寄り道するつもりなので
 時間がかかるため途中まで輪行して
 のんびり行こうと思ってるんです

 熱海は暖かいし
 伊豆を走るのは初めてだし
 
 久し振りのROADは楽しみ


by yamamichishake | 2010-01-28 17:55 | 自転車 | Comments(0)
2010年 01月 27日

国道駅ガード下


JR鶴見線は京浜工業地帯に向け走っている単線で
支線もあり「海芝浦」という終点駅は東芝工場の正門前に
あるので実質専用駅である

そんな地域なので通勤・通学時以外の昼間は
首都圏にありながら1時間に数本しかない


鶴見駅から1つ目、国道15号(第一京浜)をまたいで直ぐに
その名もズバリ「国道」駅がある

そのガード下は戦前、昭和がそのまんま時がとまったような
空間になっている

ここは黒澤明監督の映画「野良犬」で使われ、今でも映画や
ドラマのロケで使われ、最近ではTBSドラマ「華麗なる一族」で
駅構内が使われた

写真では明るく撮れているが中の照明は小さく
昼なお薄暗い

締まっている店もあるが何軒かの飲み屋は4半世紀続き
近所の住宅地からこの駅を利用する人々の通り道になっている

駅入り口は向こう側、国道沿いにある

f0326399_14415478.jpg


by yamamichishake | 2010-01-27 17:54 | 鉄道 | Comments(0)
2010年 01月 26日

田谷の洞窟



  大船に通称「田谷の洞窟」とよ呼ばれる場所がある
  有名だが行ったことがないので訪ねてみた

  大船から環状4号線を原宿交差点に向かい
  田谷の信号を右折するとやけに目立つ
  「大船ラドン温泉」の看板が目に入る
  隣りに「田谷の洞窟」の看板がたっている

  洞窟は「田谷山定泉寺」という真言宗のお寺の
  境内にあり、正式には「瑜伽洞(ゆがどう)」と言う

  もとは古墳時代の横穴墳といわれたものを
  鎌倉時代に真言密教の修験僧たちが修行場
  としてノミで掘り広げたといわれている

  江戸時代には洞門が閉鎖され寂れてしまったが
  天保年間に洞内に流れる川を灌漑に生かすためと
  修行場を整備するためさらに掘り進められた

  しかし明治の廃仏希釈でまた洞門が閉じられたが
  昭和2年(1927年)から公開され
  今でも修行の場として厳粛な宗教空間になっている

  全長は1kmと推定され計測可能な部分540m
  の一部が公開されている






受付で洞内を回るのにどのくらい時間がかかるか聞くと
「みなさん20分くらいで出てきますヨ」と言われた

拝観料400円を払うとローソクをくれる

本堂の裏に高さ2m、幅1mくらいの入り口があり
奥は電球がポツンとみえるがかなり暗い

ローソクをつけて入る
ゆっくり歩かないと火が消えそうになる
なるほどそのくらいの早さで歩きなさいと言う事か。。。

しばらく進むと「行者道へ進みなさい」と
右の小さな穴へ順路が示される

腰をかがめて入ると小さなホールに出る
壁や天井には仏像が彫られている

崩落の危険があるのか宗教上の理由なのか
枝穴は通行止めになっているので順路に
したがっていけば迷う心配はない

暗さに目がなれたせいもあるがポツンポツン
とある照明でも足元は見える

小さなホールがいくつもあり
それを結ぶ通路はときとして腰をかがめないと
通れなく、上下に階段もあり
(資料を見てみると3層になっていた)
方向感覚が解らなくなってくる

壁に彫られた世界は密教でいう
胎蔵界曼荼羅なのだろうか
この洞窟全体が大きな伽藍なのかもしれない

各所には全国各札所の仏像の彫刻があり
洞窟を一周すれば全て回ったことになるという


自分以外はだれも入っておらず
水がしたたり落ちる音がが響き
流れる川の音は三途の川なのだろうか

やがて一際おおきなホールに出ると
奥の院で弘法大師がまつられていた
その奥に小さな穴があり鎌倉時代朝比奈三郎が
幕府との戦で敗れここから逃げたとも伝えられている

奥の院からつながる部屋は一際天井が高いドーム型の
大回廊になっており、壁面には不動明王や
十二神将が彫られている

洞窟内は1年を通して15~16℃と冬は暖かい

しばらく歩き角を曲がると遠くに出口の明かりがみえ
現世へもどってきた感じがする


by yamamichishake | 2010-01-26 17:53 | 横浜 | Comments(0)
2010年 01月 25日

戸塚宿



境木地蔵から南へ進むとやがて道は品濃坂を
下りはじめるが環状2号線で道は寸断される

環状2号線をまたぐ長い歩道橋を渡って
振り返って地形を見ると街道があったときは
この場所はかなりの急坂だった事がわかる

そのまま一気に川上川までくだって1国に合流
不動坂の手前で西へ大山道の分岐となる

道脇には道標と祠が建っている
この道は401号(阿久和街道)として246号
(厚木大山街道)につながり交通量が多い

一旦旧道に入り再び1国と合流すると吉田町
ダイエー前が江戸方見附跡となり
ここから戸塚宿が始まる

やはりいまも街並みはにぎやかになる


江戸方見附跡から500mほどで柏尾川を渡る
吉田大橋が現れる

ここは広重の浮世絵にある場所だがやはり
想像がつかない

橋のたもとには広重の浮世絵をレリーフにして
飾られている

さらに500mほどで開かずの踏み切りとして
有名なJR戸塚駅横の踏み切りなる
高架工事でもしているのだろうか以前に比べて
道が広がっている

戸塚宿は日本橋から5番目の宿場で
旅程がちょうど一泊めにあたるため
旅籠の数が東海道五十三次のなかで
小田原に次ぐ規模だったという




ここが一泊めということは
吉田大橋てまえで日本橋から10里

40km弱
時速4kmで歩いて10時間
食事もするだろうからもっとかかったか
昔の人は早足だったのろうか。。。。

お江戸日本橋七つ立ち♪と歌にあるが
暁け七つは午前4時。。。早く出発したんだ


広重の浮世絵には「こめや」という茶屋の看板と
「左かまくら道」の道標が描かれており
この場所が交通の要所として賑わっていた
事がうかがえる



上方見附てまえに「冨塚八幡宮」がある

戸塚の地名発祥と伝承され
平安時代、この地に戸塚(富塚)一族が住んでいたということで
全国の戸塚姓、富塚姓のかたの守り神にもなっているそうだ

直ぐ先が上方見附跡となり、戸塚宿はここ迄で全長約2km
そこから先、道は上り坂の大坂となり次の藤沢宿へいたる

戸塚宿は品濃坂と大坂に挟まれた柏尾川に沿った地形にあり
旅人にとっては宿場手前のこの下り坂(宿場方向へ見ると)で
「お~宿場だ」とほっとしたのではないだろうか


で宿場巡りをして判ったのは、宿場内の旧東海道は
国道1号や幹線道路になっているので雰囲気は感じにくいが
それでも見附跡を過ぎると街並みも変わる気がする

宿場間は国道1号を極力直線で結ぶため山を切り開いて
造ったためか、そこかしこに旧道が残っており
裏道にもなっているため車は少なく、当然自転車は
走りやすく史跡もゆっくり楽しめる

そして地形は昔のままで、道幅も2間くらいしか無い
場所もあり宿場内より往時が想像できる




この先宿場は藤沢・平塚・大磯・小田原・箱根と続くが行けるかなぁ
とくに箱根の旧道はよさげ、石畳はMTBなら乗れるだろうか


by yamamichishake | 2010-01-25 17:52 | 自転車 | Comments(0)
2010年 01月 24日

権太坂



旧東海道は保土ヶ谷宿の上方見附の少し先から国道1号と
離れ、元町ガードから南へ折れるとすぐに「権太坂」が現れる

権太坂といえば大学箱根駅伝で有名だがあの本家である

江戸を出て東海道を西へ向かう旅人が初めて経験する
きつい上り坂で、坂道の由来は

旅人が道端の老人に「この坂は何という坂?」と聞いたところ
老人は耳が遠かったので自分の名前を聞かれたと思い
「権太」と答えた、ということらしい

以前会社でこの辺りに住んでる人からは
権太という山賊がいたからだんなて聞いたような気が。。。。

横を走る国道1号より高いところを通っているため
箱根駅伝を走るランナーよりこっちほうが
斜度はきついと思われる

しかし坂の上からは富士山も臨め、昔は眼下に神奈川の海も
眺められ旅人の目を楽しませたそうだ

海はもう眺められないが
この日も富士山が綺麗だった









1kmほどの権太坂を登りきりしばらく進むと境木地蔵尊が現れる

ここが武蔵国と相模国の国境で江戸時代はそのしるしとして
傍示杭あるいは境杭と呼ばれる木柱が建てられ、それが
境木の由来になり地名として残っている

ここの境木地蔵は当時一服する旅人を目当てとした
茶店が並び名物の牡丹餅が食されたという


ここからさらに南へ下ると戸塚宿

いや上方へ行くから登るかな





by yamamichishake | 2010-01-24 17:51 | 自転車 | Comments(0)
2010年 01月 23日

保土ヶ谷宿



旧東海道は神奈川宿の西の端、上台橋を
直進すると2kmほどで「松原商店街」に入る

今回は土曜日だったせいもあるが大変な
賑わいをみせていた

八王子街道を渡ると保土ヶ谷宿の
江戸方見附跡がありここから宿場が始まる

すぐに帷子川を渡ると相鉄「天王町」駅に
ぶつかり駅前には灯篭や橋が再現されている

帷子川といえば数年前アザラシのたまちゃん
で話題になった

ここから環状1号線に合流しJR保土ヶ谷駅
へ向かう、駅を過ぎ一方通行(自転車可)を
入るとこのあたりが宿場の中心だったの
だろうか、いろんな跡の案内板が現れる



広重の浮世絵 「保土ヶ谷宿・帷子橋」

上の写真は東京に向かって撮ったので
浮世絵の反対側から見た場所になる

高架は相鉄線の「天王町」

浮世絵にあるこの場所は今も宿場の賑わいを
そのままにしている











しばらく進むと狭い道なのに車の往来が激しい
十字路があらわれた、道脇に道標がある

金沢横町道標で横浜市有形民俗文化財

ここは金沢・浦賀往還の出入り口にあたり
枝道が多いため道標が建てられたとある

右から
円海山之道【天明3年(1783年)建立】
かなさわ、かまくら道
      【天和2年(1682年)建立】
杉田道【文化11年(1814年)建立】
富岡山芋大明神社の道
      【弘化2年(1845年)建立】

いまでもこのかなざわかまくら道は車が多い




JRの踏み切りを渡り国道1号に合流した
場所に陣屋跡があらわれる

建物は残っていないが当時の門が残っている

東海道はここからほぼ直角に進路を西に変え
700mほどで上方見附跡につく

江戸見附からここまで宿場の長さは
約2kmくらいだろうか

神奈川宿と違って広い国道をそんなに走らない
ので旧東海道めぐりとしての雰囲気が楽しめる

ボランティアの人だろうか10人ほどの
グループが2組徒歩で東海道巡りをしていた





by yamamichishake | 2010-01-23 17:50 | 自転車 | Comments(0)
2010年 01月 22日

逃走ルート

神奈川宿の旧東海道を走っていて気になることがあった

生麦事件(しつこいが)現場から横浜村のイギリス人居留地へ
助けをもとめに戻ったボロデール夫人は5kmの道のりを駆けたと以前書いたが
考えてみるとそれは今の道路の場合であって
当時は横浜駅あたりは海だったので大きく湾を廻ったのでもっと距離はあった筈だ

話はそれるが、だからこそ幕府は湊のそばを東海道が走り、江戸にも近い
神奈川を嫌って、対岸の遠くて辺鄙な横浜村を開港地にしたのではないだろうか

で、地図で逃走ルートを探ってみた





東海道を保土ヶ谷宿まで戻り、いまの天王町から保土ヶ谷道(藤棚商店街)を
抜け、くらやみ坂を登って戸部村から関内の居留地へ戻ったのではないだろうか

約13kmになる
馬で駆けた(と思うが)必死の思いだったろう


by yamamichishake | 2010-01-22 17:49 | 横浜 | Comments(0)
2010年 01月 21日

笠のぎ稲荷神社



成仏寺まえの歴史街道を北へたどっていくと
京急の線路脇に「笠のぎ稲荷」があらわれた

ここは通勤で毎日見かけ赤い幟が目立った
神社だが、なんていう名なのか読めないで
気になっていた

「かさのぎ」といい「のぎ」は禾(のぎへん)に
皇と書き、IMEパッドでも変換文字が無い

社伝によると天慶年間(938~947年)に
稲荷山に創祀された霊験あらたかな神社で
社前を通る者の笠が自然と脱げたことから
笠脱稲荷と称され、後に笠のぎ稲荷と改称
され明治2年に現在地へ遷座された。とある

稲荷山がどこなのかわからないが
待てよ、金沢三山の稲荷山か?
それにしても面白い言い伝えがあるものだ



10段ほどの階段を登ると境内は狭いながらも木が
生い茂り静かな景色で、正面には小ぶりな
社が雰囲気をかもし出している

階段よこには横浜市指定有形文化財の「板碑(いたび)」が
倒れないように横から支えられ
風雨よけの小屋の中に守られて建っている

板碑とは鎌倉時代~室町時代にかけて多く作られた供養塔で
板状に加工した石材に梵字や供養者の内容を刻み
頭部に二条線が刻まれ、のちの卒塔婆につながるのもだそうだ


この板碑には「南無阿弥陀仏」の梵字が刻まれており
阿弥陀を主尊とするもので
造立年代は不明だが形状からすると鎌倉時代末期から
南北朝時代のもので関東に数個しか残っていない
貴重な様式だという


この様な供養塔が寺ではなく
なぜこの稲荷神社にあるのか判らないが
鎌倉時代の信仰を垣間見た気がする



by yamamichishake | 2010-01-21 17:48 | 自転車 | Comments(0)